2. (06)

心底に自ら厄介だと存じる。自己表現を望む一方で、認知されることを恐れている。気を楽にして時には何も考えずに生きるが吉だなんて言われたことだって有ったが(いや、有った、ではなく、有る、今なお。今後だって、有る。恐らくだが。)それを伝えてくださるあなた方にも感情や人生や大切に思う人たちが居て、物を考えるじゃあないか(僕はその莫大な、なにか 人 の 生 に殺されそうになっているのだ)、と。良かれと思ってくれていることだって知っているし、僕も時折その言葉に気が楽になっていることだって確かなのだけれど。過去は記憶や記録でしかないと言うし僕は今に生きていたいのだけれどこうして今を記録に残そうとしてしまっている。こういうところが厄介なのである。生きるのに死ぬし永遠なんて無いのに永遠なんて言葉が存在するし矛盾だ齟齬だ混沌だ何だこれは。感情が僕を袋叩きにする。慎重に誠実に生きていたい。1つも嘘をつかずに潔白なまま、下品な事や争い事を避けて、崇高な生を掲げていたい。半端で安い易い脆い。いつもすべてをかけてアプローチを返す、レスポンスをする。その質量に驚かれてしまう。人の生きる姿勢が分からない僕の生きる姿勢が正しいのか何なのかが一番分からない分かれば多分消えてしまうだろう。僕は人が好きだ。感情や人生に面食らうのに、だ。僕は分からない、他人の崇高さに自らが面食らってしまうくせに人の生きる姿勢に疑問を持っている。落とし込むつもりはない。これは矛盾で齟齬で、混沌で曖昧なので、理解されたいというように表現しておきながら、理解される為の言葉を連ねていない。世間は僕だ、とは、なんとなくだが、思う。